忘れじの1.172008-01-18 Fri 01:01
命の重み、助け合い=「1.17」体験、次の世代へ−阪神大震災13年、鎮魂祈り
1月17日9時0分配信 時事通信 6434人が犠牲になった阪神大震災から13年を迎えた17日、兵庫県内の各地では、さまざまな追悼行事が営まれ、被災地は深い鎮魂の祈りに包まれた。住民らは命の大切さと、人が助け合い支え合うことの重みをかみしめ、震災体験を次の世代に継承していく決意を新たにした。 神戸市中央区の東遊園地では早朝、市と市民団体が主催する追悼の集いが開かれ、約4500人が集まった。「1.17」の数字をかたどって並べられた竹灯籠(とうろう)は約7000本。小雪の舞う中、訪れた人々は筒の中のろうそくに次々に灯をともし、追悼の祈りをささげた。 地震発生時刻の午前5時46分には、参加者全員が一斉に黙とう。父を亡くし、遺族を代表してあいさつした同市長田区の高校3年竹中基治さん(18)は「今まで僕を支えてくれた多くの方々に感謝しています。大学に合格し、春から進学することになりました。支えられる側から、支える側に変わります」と思いを述べた。 神戸市の矢田立郎市長は、住民同士の助け合いなど、震災での教訓と経験を次の世代に伝えていく意義を強調。「安全で安心なまち神戸の実現に全力で努めてまいります」と決意を表明した。 まだ、というかもう13年の歳月が経ってしまいました。驚異的な復興をなしとげ被災の傷跡さ え感じさせない神戸の町並みですが、未曾有の被害者を出したあの大震災は忘れてはいけ ません。3年前の福岡西方沖地震でも人生最大の大揺れを体験してびっくりしたものですが、 あんな地震の比ではなかったのでしょうね。もともと活断層の上に繁栄しているこの国。いつ どこに大地震が襲ってきても不思議ではありません。最近は地震以外の天災も考えないとい けないし。非常持ち出し袋も検討したいところだけど、万一の時の避難集合の場所くらいは家 族で話しておくべきかも。 天国へ行ったのんちゃん 小西 眞希子 三十五歳 主婦 西宮市 「お母さん、幼稚園でハートの凧を作ったの。明日凧上げするの、おやすみなさい」 五歳の娘、希はそういって床につきました。 「ドン」という衝撃で目が覚めました。いつもつけて寝ている豆球が消え、真っ暗になりました。同時に体中が左右に激しく揺さぶられ、上から物が落ちてきました。とっさに同じ布団に寝ていた下の娘をかばうと、 「ギャ」 と希の声がしました。 「希」「希」 と呼びましたが返事がありません。 「おとうさん、おとうさん、希が、希の上に何か落ちた」 主人の上にも何か落ちてきたようで、立ち上がろうとすると、頭がつかえ、まっすぐ立てる状態ではなかったようです。 「わからへん。何も見えへん。どこにいる」 「私は大丈夫。理菜もここにいる。希をなんとかして」 懐中電灯のあった柱は倒れ、玄関もつぶれていました。 「助けを呼んでくるから待ってろ」 主人は、そう言ってゆがんだ勝手口を蹴破って外へ出て行きました。 私は動けず、どうにか自由になる手を伸ばして希を探りました。そこに希の手がありました。 「希」「希」 と手を握りしめても反応がありません。左手の下の娘は動き出そうとします。今、私の腕の下から出ていったらどんな危険が待っているか、わかりません。 「理菜もう少しねんねしてようね」 と言いました。体の上の物の重さが増してきます。主人が懐中電灯を借りて帰ってきて、助け出してもらいました。 灯りに、照らし出された部屋の中は、数時間前とは一変し、大きなピアノが斜めに倒れその角が希の頭の上にありました。二階のはりがピアノの上にありました。 「誰か助けて」 外に向かって叫びました。希のお友達のお父さんが 「大丈夫か」 と来て下さいましたが、大人二人ぐらいの力ではどうにもなりません。 主人に「外に出ていろ」と言われ、下の子を毛布でくるみ外へ。外に出ると昨日まであったご近所の家はつぶれ、道をふさいでいます。 「誰か助けてください。救急車に電話して下さい」 「行かれへん。電話も通じへん」 下の娘を抱いて裸足で立っていると、若い男の子が靴を持ってきてくれ、大人一人がやっと通れるぐらいの穴から道路に出てきました。やがて数人の人が車のジャッキ二台を使って希を助け出してくれました。その時娘には息がありませんでした。 近所の病院から看護婦さんがとんできて下さり、家の車はキーがなくて使えないため、近所のご主人が病院へ運んで下さいました。病院への道も道路はゆがみ、がれきで寸断されています。 はじめに運ばれた病院は、ライフラインを断たれ、すぐに修羅場と化してきました。点滴を受け、どうにか心臓は動き出したのですが、それ以上どうしていただく事も出来ませんでした。神戸大病院へやっと連絡がつき、搬送されました。集中治療室で先生から聞かされた言葉は、 「手遅れです」 ということでした。 奇跡を祈り続けましたが、翌日午前十時、息を引きとりました。 主人が倒れた家からどうにか取り出してきた、赤いトレーナーや大好きなセーラームーンの靴下を履かせ、病院を後にしました。 西宮の実家へ帰る途中、大好きだった幼稚園の前を通り、実家へ着いたのは夜の八時をまわっていました。一時間ぐらいで着くところを、九時間近くかかりました。とてもお月様がきれいで、 「のんちゃんお月様よ」 と言うと、その顔はまるで笑っている様でした。 十二月の音楽教室のクリスマス会で、目をつぶって手を握り、お母さんを当てるゲームで、あなたはすぐにお母さんを当ててくれました。 「お母さんの手はいつもあたたかいもん」 「お母さん疲れたら言ってね。いつでも肩たたいてあげる」 そう言って笑っていた希。幸せだったあの時はもう戻ってこないんですね。 希はあの混乱の中、多くの人に助けて頂きました。電気が通じていないため、何時間も手で人工呼吸を続けて下さった看護婦さんが、 「希ちゃん頑張りよ」 と言って下さった言葉がどれほどうれしかったか、みなさん本当にありがとうございました。 あなたを奪った大震災がお母さんは本当に憎いです。今、お母さんもお父さんも死ぬことを怖いと思いません。天国にいるあなたに会えるまで頑張りますね。のんちゃん、見ていて下さいね。 ネットでみつけた震災体験記 |
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