ヒロシマ 22008-08-07 Thu 00:35
広島原爆忌 こども代表平和への誓い(全文)
8月6日11時34分配信 毎日新聞 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。 突然のするどい閃光(せんこう)と爆風で、数え切れない多くの尊い命が失われました。 あの日、建物疎開や工場で働くために出かけていった子どもたちは、63年たった今も帰りません。「いってきます。」と出かけ、「ただいま。」と帰ってくる。原爆は、こんな当たり前の毎日を一瞬で奪いました。 原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。 放射線の影響で突然病に倒れる人。 あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。 大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。 でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築き上げてくれたからこそ、私たちの命があるのです。 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。 忘れてはならない原爆の記憶や、核兵器に対する怒りは、年々人々の心から薄れていると思います。しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。 この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。 失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。 事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。 また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、深い祈りの中にある広島に来てほしいと思っています。ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。 そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。 みなさん、見ていて下さい。 私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。 平成20年(2008年)8月6日 こども代表 広島市立幟町小学校6年 今井 穂花 広島市立吉島東小学校6年 本堂 壮太 記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080806-00000006-maip-soci 平和な日本に住む子供達は、世界のどこかで絶えず戦争が起きていることを 知っているでしょうか。 今、仲のいいアメリカとかつて戦争をしていたことを知っているでしょうか。 その挙句に史上最悪の爆弾を落とされズタズタにされた過去を 知っているでしょうか。 63年を経て直接の原爆被災者が少なくなってこようとも この歴史と原爆の悲惨さは風化させずに世界に、次代を担う子供達に、 伝え続けねばならないこと。 そしてそれは世界で唯一原爆を落とされた国の使命でもあって。 峠 三吉 「原爆詩集」より抜粋 序 ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわをへいわをかえせ 仮繃帯所にて あなたたち 泣いても涙のでどころのない わめいても言葉になる唇のない もがこうにもつかむ手指の皮膚のない あなたたち 血とあぶら汗と淋巴液とにまみれた四肢をばたつかせ 糸のように塞いだ眼をしろく光らせ あおぶくれた腹にわずかに下着のゴム紐だけをとどめ 恥しいところさえはじることをできなくさせられたあなたたちが ああみんなさきほどまでは愛らしい 女学生だったことを たれがほんとうと思えよう 焼け爛れたヒロシマの うす暗くゆらめく焔のなかから あなたでなくなったあなたたちが つぎつぎととび出し這い出し この草地にたどりついて ちりちりのラカン頭を苦悶の埃に埋める 何故こんな目に遭わねばならぬのか 何の為に なんのために そしてあなたたちは すでに自分がどんなすがたで にんげんから遠いものにされはてて しまっているかを知らない ただ思っている あなたたちはおもっている 今朝がたまでの父を母を弟を妹を (いま逢ったってたれがあなたとしりえよう) そして眠り起きごはんをたべた家のことを (一瞬に垣根の花はちぎれいまは灰の跡さえわからない) おもっているおもっている つぎつぎと動かなくなる同類のあいだにはさまって おもっている かつて娘だった にんげんのむすめだった日を としとったお母さん 逝ってはいけない としとったお母さん このままいってはいけない 風にぎいぎいゆれる母子寮のかたすみ 四畳半のがらんどうの部屋 みかん箱の仏壇のまえ たるんだ皮と筋だけの体をよこたえ おもすぎるせんべい布団のなかで 終日なにか 呟いているお母さん うそ寒い日が 西の方、己斐の山からやって来て 窓硝子にたまったくれがたの埃をうかし あなたのこめかみの しろい髪毛をかすかに光らせる この冬近いあかるみのなか あなたはまた かわいい息子と嫁と 孫との乾いた面輪をこちらに向かせ 話しつづけているのではないだろうか 仏壇のいろあせた写真が かすかにひわって ほほえんで きのう会社のひとが ちょうどあなたの 息子の席のあったあたりから 金冠のついた前歯を掘り出したと もって来た お嫁さんと坊やとは なんでも土橋のあたりで 隣組の人たちとみんな全身やけどして ちかくの天満川へ這い降り つぎつぎ水に流されてしまったそうな あの照りつけるまいにちを 杖ついたあなたの手をひき さがし歩いた影のないひろしま 瓦の山をこえ崩れた橋をつたい 西から東、南から北 死人を集めていたという噂の四つ角から 町はずれの寺や学校 ちいさな島の収容所まで 半ばやぶれた負傷者名簿をめくり 呻きつづけるひとたちのあいだを のぞいてたずね廻り ほんに七日め ふときいた山奥の村の病院へむけて また焼跡をよこぎっていたとき いままで 頑固なほど気丈だったあなたが 根もとだけになった電柱が ぶすぶすくすぶっているそばで 急にしゃがみこんだまま 「ああもうええ もうたくさんじゃ どうしてわしらあこのような つらいめにあわにゃぁならんのか」 おいおい声をあげて 泣きだし 灰のなかに傘が倒れて ちいさな埃がたって ばかみたいな青い空に なんにも なんにもなく ひと筋しろい煙だけが ながながとあがっていたが…… 若いとき亭主に死なれ さいほう、洗いはり よなきうどん屋までして育てたひとり息子 大学を出て胸の病気の五、六年 やっとなおって嫁をもらい 孫をつくって半年め 八月六日のあの朝に いつものように笑って出かけ 嫁は孫をおんぶして 疎開作業につれ出され そのまんま かえってこない あなたひとりを家にのこして かえってこなかった三人 ああお母さん としとったお母さん このまま逝ってはいけない 焼跡をさがし歩いた疲れからか のこった毒気にあてられたのか だるがって やがて寝ついて いまはじぶんの呟くことばも はっきり分らぬお母さん かなしみならぬあなたの悲しみ うらみともないあなたの恨みは あの戦争でみよりをなくした みんなの人の思いとつながり 二度とこんな目を 人の世におこさせぬちからとなるんだ その呟き その涙のあとを ひからびた肋にだけつづりながら このまま逝ってしまってはいけない いってしまっては いけない |
この記事のコメント黙祷を捧げましょうね。
11日はあまり知られていませんが久留米の空襲の日だそうです。 終戦(15日)の4日前の空襲だったんですね。
結構激しかったようで荘島、六ツ門付近は 焼け野原だったみたいですね。 でも原爆でなかっただけまだましだったかも。
2008-08-08 Fri 01:01 | URL | amanojaku #-[ 編集]
うん・・
池町川に逃げた方達はたくさん亡くなられたのだとか れんこん畑に逃げた方達は助かったそうです。 広島、長崎に原爆が落とされ、
苦渋の敗北宣言に至る数日の間に 亡くなられた人は 国の決断が早ければ 死なずにすんだ人たちなんですね。
2008-08-08 Fri 10:43 | URL | amanojaku #-[ 編集]
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